普段はシェルで給油しているが、ここ数週間、シェルのスタンドに出向くとそこには平時と異なる光景が広がっている。いつもなら車やバイクの列で賑わうシェルやBP、Vivoといった民間系のガソリンスタンドが閑散とし、価格表示版のガソリンの欄にはゼロが並び、給油機には「売り切れ」の札が貼られているのだ。代わりにスタッフはタイヤに空気を入れたり、アイスコーヒーやドリアンを販売したりしている。給油を目的に訪れた客が落胆の表情で立ち去る一方、仕方なく軽食だけを買っていく姿はこの国の燃料供給のいびつさを象徴しているように見える。
今回の民間スタンドのガソリン不足は、単純な「供給不全」とは言い切れない。エネルギー鉱物資源省(ESDM)のユリオット・タンジュン副大臣は、補助金付き燃料から非補助金燃料への移行が主因だと説明する。プルタミナが補助金付きプルタライトの購入にQRコード登録を義務付けたことで、登録していない利用者や手続きを避けたい人々が補助金なし燃料に流れた。その転換量は推計で140万キロリットルに及ぶという。結果として、非補助金燃料を主に扱う民間スタンドの在庫が急速に減り、空っぽの状態が各地で広がったとの見解だ。しかし、政府の見解も一枚岩ではない。同ESDMのバリル・ラハダリア大臣は「不足ではない」と異なる見解を繰示している。民間スタンドには前年より一割増しの輸入割当を与えており、さらに不足する場合はプルタミナの備蓄からも調達できるはずだと強調する。彼の論理は、国内供給を最大限活用すべきだというものだ。そして、足りないなら国営のプルタミナから買えと言う姿勢を崩さない。
こうした見解のズレは、政策の難しさを物語る。補助金付き燃料の利用をQRコードで制限するのは、補助金対象を真に必要とする層に絞るための合理的な仕組みだ。しかし現実には、制度移行期に多くの利用者が「簡便さ」を求めて非補助金燃料へとシフトした。その需要変化を政府が十分に予測できず、現場のスタンドが供給不足に直面しているのである。
現場の声はさらに切実だ。南ジャカルタのあるシェルスタンドでは、9月中旬からガソリンが空になり、客足が遠のいた。代わりにコーヒーや土産品を販売してわずかな収入源としているが、従業員の雇用継続に不安が広がっている。VivoやBPでも状況は同じで、在庫切れが1か月以上続き、スタッフは利益に直結しない清掃や研修などに時間を費やすしかない。対照的に、数百メートル離れた国営プルタミナのスタンドは「活気」にあふれ、給油待ちの車列が続く。民間と国営の差は、誰の目にも明らかなほど際立っている。
この事態から見えてくるのは、燃料政策が国民生活に直結するという厳然たる事実だ。補助金政策の合理化や財政健全化は不可欠である。しかし、移行期の摩擦を軽視すれば、結果的に国民の不満と混乱を招く。民間スタンドの在庫が空になれば、消費者は選択肢を失い、結局プルタミナ一極集中に向かう。競争原理の低下は、長期的に価格やサービスの質にも影響しかねない。政府は「一時的現象」と繰り返すが、現場で働く人々や給油できない利用者にとっては、毎日の生活に直結する深刻な問題である。制度の合理化と実務のギャップをどう埋めるのか。バリル大臣が強調する「国内供給の活用」と、ユリオット副大臣が示した「需要シフトへの認識」をどう整合させるのか。民間事業者の声を早急に聞き入れ、調整を加速させなければならない。
ガソリンのないガソリンスタンドでコーヒーを買いおしゃべりに興ずる人々の姿は、単なる風景ではない。そこには、補助金政策の転換がもたらす社会の変化、そして国営より民間に信頼をおく一定数の国民の姿が映し出されている。政府は“何かと都合のいい”国営に誘導する方法を考えている場合ではないことを銘肝すべきである。
<大塚 玲央>
1987年長野県生まれ。親の仕事の関係で幼少より転校を繰り返し、高校時代はシンガポールで過ごす。大学卒業後、放送局や旅行代理店勤務を経て現職。2011年よりインドネシア在住。趣味ゴルフ、野球。
大塚 玲央 メールアドレス:reo.fantasista@gmail.com
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