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よもやまノンキインドネシア (第49回)
「路上に息づく伝統薬ジャムウの物語  苦味に宿るインドネシアの生薬文化」

2025. 11. 25 | その他

「良薬口に苦し」とは、身に沁みる良い忠告ほど耳に痛いという意味だが、もともとは“よく効く薬は苦い”という意味だ。インドネシアの伝統薬「ジャムウ(Jamu)」を飲めば、この言葉の本来の重みを実感するだろう。市場の片隅や街角で、大きな籠を背負って行商する女性たちが売り歩くジャムウは、そのほとんどが強烈な苦味をもつ。だが、その苦味こそが効いている証拠だと多くのインドネシア人は信じている。

行商人の女性は“ジャムウおばさん”と呼ばれ、客の症状を聞きながら、その場で生薬を調合する。母から娘へと一子相伝的に受け継がれるレシピも多く、各家庭や地域ごとに配合や味が異なる。使われる生薬もじつに多彩だ。生姜、ウコン、タマリンドのような馴染みのあるものから、蜂の子、山羊の胆汁、タツノオトシゴの干物といった思わず身構えてしまうような素材まで、島ごとの自然と文化がそのまま薬になる。腹痛や高血圧、尿道結石の改善といった医療的用途から、美肌やダイエット、長寿、感染症予防まで、効能として語られる幅が広いのもジャムウらしさだ。

コロナ禍において、ジョコウィ前大統領は免疫力向上のために一日三回飲んでいたとされ、来賓にも勧めていたというエピソードは有名だ。こうした追い風も受け、近年では工場生産のジャムウも増え、粉末やカプセルなど携帯しやすい形へと進化している。日本でも手に入る「トラック・アンギン」はその代表格だ。黄色いパッケージで知られ、名前の通り“風邪を断つ”薬として親しまれているが、インドネシア人にとっては寝不足や疲労時の万能薬のような存在で、常備する家庭も多い。味は独特だが、ジャムウの中では比較的飲みやすく、入門編として試すにはちょうどよいだろう。

ジャムウの起源は、1300年前の古マタラム王国にまで遡るとされる。ジャワ島中部の遺跡からは、現在のジャムウ作りにも用いられる石製のすり鉢とすりこぎが発見され、当時すでに薬草をすり潰して薬を作る慣習があったことを示している。ボロブドゥールのレリーフには、薬草を砕く人、飲み物を売る人、患者を診る医師やマッサージ師の姿が刻まれており、古代から生活と医療が密接に結びついていたことがうかがえる。時代が進むにつれ、マジャパヒト王国の碑文には薬草商「アチャラキ」の存在が記され、17〜19世紀には欧州の医師がジャムウに関心を寄せ、多くの記録が残された。こうした積み重ねが、現在のジャムウ文化を形づくっている。

そんな長い歴史をもつジャムウだが、行商人は減少傾向にあり、気軽に飲もうと思ってもなかなか難しいのが現状だ。

もしジャムウに興味が湧いたのなら、中央ジャカルタのスネン地区にある「Jamu Bukti Mentjos」を訪れてみてほしい。1950年創業で、ジャカルタ最古のジャムウカフェとして多くの人に知られる存在である。3代目店主のホラティウス・ロムリ氏は、いまでも時間が許せばカウンターに立ち、創業者でもある祖父母から受け継いだ調合でお客様の要望に合わせてジャムウを作り続けている。定番は風邪や吐き気に効果があるとされる「Beras Kencur」だが、ここ数年は糖尿病予防に効果があるとされる「Si Manis」を求める人が増えているという。ホラティウス氏は、単に味を守ることだけでなく、若い世代の間で生薬を飲む文化を復活させることが今日の最大の課題だと語る。

苦くて強烈、しかし不思議と癖になる。ジャムウは薬であり、文化であり、ライフスタイルの一部なのだ。もし「良薬口に苦し」を身体で味わってみたいなら、ぜひとも生薬本来の苦みをもつジャムウを飲んでみてほしい。その先に、何百年と続く奥深い世界が広がっている。

<大塚 玲央>

1987年長野県生まれ。親の仕事の関係で幼少より転校を繰り返し、高校時代はシンガポールで過ごす。大学卒業後、放送局や旅行代理店勤務を経て現職。2011年よりインドネシア在住。趣味ゴルフ、野球。

大塚 玲央 メールアドレス:reo.fantasista@gmail.com

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※本レポートは筆者の個人的見解であり、PT. Japan Asia Consultantsの公式見解を示すものではありません。