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よもやまノンキインドネシア (第50回)
「地形と信仰が支える独自の死者観 バリ島トルニャン村の風葬儀礼」

2025. 12. 2 | その他

バリ島東部バトゥル湖のほとりにひっそりと位置するトルニャン村は、数あるバリの伝統文化の中でも、最も特異で誤解されがちな風習を守り続けている。それが、死者の遺体を土に埋めず、棺にも入れず、自然の中にそのまま横たえる“風葬”の伝統である。観光地バリの華やかなイメージとは対照的に、この村に流れる静謐な空気は、訪れた人々に「死と自然の関係」について深く考えさせる力を持っている。

トルニャン村の風葬が成立する背景には、自然への畏敬と共存を柱とする古層の信仰がある。村の中心には、香り高いタル・メニャン(Taru Menyan)と呼ばれる大樹が立っており、風葬にはいくつかルールが定められている。タル・メニャンの木の下に埋葬できる遺体は11体までとされている。そして、死者は自然死であり、既婚者であり、手足が完全に揃っていることが条件となる。その条件に適合しない遺体は、他の2ヶ所の墓地に埋葬されるのだと言う。幼い子供や未婚の成人が埋葬される墓地と不慮の死を遂げた人や病気で手足を失った人が埋葬される墓地に分けられているという。

“風葬”といっても、遺体はバトゥル湖を見下ろす墓地に安置され、顔以外を白い布で覆われ、その上から竹の籠で囲われるだけである。後は自然の力に委ねる形だ。驚くべきことに、悪臭はほとんどないという。タル・メニャンの木が死者の遺体から発せられる腐敗臭を吸収してくれると信じられている。そして、この風葬を許されるのは村に伝わる血統を持つ者だけが対象とされている。外部から嫁いだ女性や、村を離れて生活する者は対象外であり、火葬や埋葬となる。トルニャン村で一生を全うした人に与えられる最後の場所として、トルニャン村の自然に溶け込みその一部となり続けるのである。

しかし近年、この静謐さは外部からのまなざしによって揺らぎ始めている。日本でも問題となっているオーバーツーリズムだが、トルニャン村でも顕著になりつつある。風葬が観光地バリの“特異な文化スポット”として注目され、訪問者が増えるほど、村人たちは伝統が“見世物”扱いされてしまうことを憂慮している。観光収入が村の生活を支える重要な収入源である一方で、極めて繊細な文化が外部の視線によって本来の意味を失いかねないというジレンマを抱えているのだ。村人が守りたいのは、風葬が「異様な風習」として扱われることではない。死が特別な儀式ではなく、生の延長線上にあるものとして自然に受け止められる。その価値観こそがトルニャン村のアイデンティティだ。村では、誰かが亡くなると、家族が遺体を清め、白布を巻き、静かに墓地へ運ぶ。その過程には派手さも、過剰な儀式もない。ただ淡々と、しかし確かな愛情と敬意が込められている。死者へのまなざしは驚くほど穏やかで、そこには生命への深い理解と循環の哲学が息づいている。

周囲を囲む湖と火山の地形、タル・メニャンの大樹、村人の信仰。この三つが揃った場所だからこそ、風葬は成立している。単に「珍しい風習」で片付けるべきではなく、自然と共生する知恵として注目されるべき文化だ。近代化の波が押し寄せる中でも、村人が守り続ける理由は明確だ。観光客が増える今こそ必要なのは、この風葬が持つ精神的な背景を正しく理解し、敬意をもって向き合うことだ。

この村の静謐な空気に触れると、死を避けたがる現代社会にこそ、トルニャンの風葬は一つの“鏡”として機能しているのだと気づかされる。死は終わりではなく、循環の一部なのだ。そんな穏やかな思想が、今日も湖の風とともに村を包み込んでいる。

<大塚 玲央>

1987年長野県生まれ。親の仕事の関係で幼少より転校を繰り返し、高校時代はシンガポールで過ごす。大学卒業後、放送局や旅行代理店勤務を経て現職。2011年よりインドネシア在住。趣味ゴルフ、野球。

大塚 玲央 メールアドレス:reo.fantasista@gmail.com

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※本レポートは筆者の個人的見解であり、PT. Japan Asia Consultantsの公式見解を示すものではありません。