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五感を刺激するインドネシア (第2回)
「インドネシア語読書記録『Rabbit in Prison』」

2024. 03. 19 | その他

前回、父が雑誌の編集の仕事をして海外取材に飛び回っていたことに触れました。その雑誌とは、何を隠そう(?)『平凡パンチ』です。ある程度の年齢以上の方でないとご存じないかもしれないので注釈を加えると、昭和時代にヌードのグラビアで一世を風靡した週刊誌です。当時小学生だった私は、クラスの男子が「エッチな本」の代名詞みたいな感覚で『平凡パンチ』という言葉を口にしてはぎゃーぎゃー騒いでいたので、(お父さんが働いてるってばれたらいやだなあ)といつもハラハラしていました。今にしてみれば、むしろ時代をリードし続けた伝説のサブカル雑誌として誇らしい限りなのですが。しかも父は四輪車、二輪車関係記事の担当で、オーストラリアを横断したり、ダカール・ラリーの取材などで飛び回ったりしていました。もちろん私はまだ小さかったので平凡パンチの記事は読んでいないのですが、ヌードばかりではなく、読み物として面白い記事がいっぱいあったのではないかと思います。

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『Rabbit in Prison』(OM Institute, 2023)は、プレイボーイ誌インドネシア版の編集長だったエルウィン・アルナダ(Erwin Arnada)による本です。日本では平凡パンチのライバル誌だったプレイボーイがインドネシアにあったんだ!と驚かれる方もいらっしゃると思いますが、その道のりは決して安泰ではなく、タイトルからわかる通り、筆者は投獄の憂き目にあっています。だからといって、人が『プレイボーイ』と聞いて想像するような、インドネシアの文化にそぐわないセクシーな雑誌を出版したわけではありません。報道誌のジャーナリストとしてキャリアを始めたエルウィン氏は、のちにメディアを立ち上げたり、大ヒット映画の制作をしたりなど、ジャーナリズムとエンターテイメント界で名を成した人物です。彼はそれまでに、米国版プレイボーイ誌によるキング牧師、ヤーセル・アラファート、マーロン・ブランド、ジョン・レノンら世界の著名人への骨太なインタビュー記事を読んで感銘を受けており、このジャーナリズム精神をインドネシア版において前面に押し出したいという強い意志を持っていました。当然コンセプトは”No nude pictures”としてニューヨークの本部との協議を重ねた結果、2006年4月、晴れてプレイボーイ・インドネシアが創刊されました。

編集長の理想を具現化し、創刊第1号で掲載されたのはプラムディヤ・アナンタ・トゥールへのインタビュー。インドネシア共産党との関係を疑われ、スハルト時代に長い流刑生活を送っていた小説家です。流刑時代に著された『人間の大地』をはじめとする作品群(出版社めこんから恩師押川典昭先生による和訳が出ています)により、ノーベル文学賞有力候補としても注目されていたプラムディヤは、プレイボーイ・インドネシアのインタビュー後まもなく、享年81でこの世を去りました。奇しくも、プレイボーイ・インドネシアが文豪最後のインタビューとして注目されました。

このように同誌では、文学や芸術、政治などに関する深い考察を行った記事がページを彩ったわけですが、残念ながら、実際の内容など読みもしない人々が『プレイボーイ』の名前に強烈な拒否反応を示しました。「プレイボーイはハラム(イスラム教の禁忌)」であるとして、南ジャカルタの編集部には数百人ものデモ隊が殺到して破壊行為を行い、編集メンバーやその家族までが反対派の脅迫を受けました。編集長は告訴され、バリに編集部を移したあともジャカルタの裁判所通いが続きました。

結局2007年3月でプレイボーイ・インドネシアは廃刊となり、筆者は2010年10月に2年間の実刑判決を受けることになります。

“Akhirnya aku difoto memegang papan pasal hukuman. Seperti Robert Downey Jr. yang kulihat di majalah”

(ついにぼくは、罪状が書かれた板を持って写真を撮られることになった。雑誌で見たロバート・ダウニー・ジュニアのように)>“Rabbit in Prison”より

さかのぼってスハルト政権期には、すべての出版物が許認可制で、政府の意向に沿わない雑誌、新聞などはすぐに発行禁止処分にされていました。プラムディヤの小説も発禁だったので、読みたい人は公安の目を盗んでこっそりコピーをしていた時代です。1999年のハビビ大統領によってこの制度は廃止されましたが、それでもこうしてプレイボーイ・インドネシアのようなケースが起きたわけです。筆者は ”Journalism is not a crime”と訴えます。

そして現在。残念ながら、ジョコウィ政権にも言論を弾圧する傾向が表れていますし、次の政権に関しても決して楽観はできない状況です(ここでは文字数もあって深くお話はしませんが)。今後、時代が逆行しないことを願ってやみません。

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<武部洋子> 東京生まれ。大学で第二外国語としてインドネシア語を選択して以来、インドネシアにどっぷりはまる。1994年に卒業と同時にジャカルタに移住、2013年にはインドネシア国籍を取得。職を転々としたのち、現在はフリーランスのライター、コーディネーター、通訳/翻訳業に従事している。著作に『旅の指さし会話帳②インドネシア』(株式会社ゆびさし)など。

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