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よもやまノンキインドネシア (第65回)
「道路をふさいでも苦情は聞こえない インドネシアが教えるお互い様の文化」

2026. 07. 14 | その他

私の住むアパートには裏道がある。正門側は渋滞が多く、裏道は非常に便利な帰宅路である。しかし、年に数回、前触れもなく道路は閉鎖される。道路には大きなテントが張られ、何百脚もの椅子が並ぶ。調理場は屋外に設けられ、朝から大鍋で料理が作られる。華やかな衣装に身を包んだ新郎新婦を祝うため、近所の人々や親戚、仕事仲間までが次々と訪れる。車はおろか、バイクすら通れなくなり、そこは結婚式会場となる。

日本で住宅街の道路を半日ふさぎ、お祝いの音楽を流し続けたらどうなるだろう。間違いなく祝いの言葉より先に、苦情の電話が鳴る。道路使用許可は取っているのか、騒音はいつまで続くのか、近隣住民への説明は十分だったのか。祝宴よりもルールの確認が先に始まる。

ところが、インドネシアではまったく違う光景が広がる。今日はあの家の結婚式だから。その一言で済んでしまうのである。もちろん、誰もが不便を感じないわけではない。しかし、その不便は「お互い様」として受け入れられる。今日は隣人の番であり、いずれ自分の家も祝われる側になる。その暗黙の了解が地域社会を支えている。

この光景を見るたび、日本では「公共」と「私的」が明確に線引きされる一方、インドネシアの地方では、その境界線が実に曖昧で柔らかいことに気付かされる。

道路は公共のものである。だが同時に、地域社会のための空間でもある。法律だけでは説明できない地域社会の感覚が、そこには息づいている。もちろん、それが何でも許されるという話ではない。交通整理をする人が立ち、安全に配慮しながら式を進める地域も多い。共同体の寛容さは、無秩序と同義ではない。

一方、日本では近年、「近隣に迷惑をかけないこと」が生活の大前提となった。もちろん、それは成熟した社会の証でもある。しかし、その一方で「迷惑をかけないこと」が「他人と関わらないこと」にまで発展してはいないだろうか。冠婚葬祭も小規模化し、近所付き合いは希薄になった。隣家で誰が暮らしているのか分からないまま何年も過ぎることは珍しくない。地域のつながりは、防犯や防災の標語として語られることはあっても、日常生活の中で実感する機会は確実に減っている。

インドネシアでは、結婚式は新郎新婦だけの行事ではない。村全体、町全体の行事である。近所の人が料理を手伝い、椅子を運び、会場を設営する。祝いとは、人を集める理由であり、人とのつながりを確認する機会でもある。効率だけを考えれば非合理的である。道路は混み、準備には何日もかかり、多くの人手も必要だ。それでもこの慣習が続いているのは、効率よりも人との関係に価値を見い出しているからだろう。

日本では「時間を守る」「他人に迷惑をかけない」という美徳が社会を支えてきた。インドネシアの地方では「祝い事なのだから仕方がない」という価値観が地域を支えている。

どちらが正しいという話ではない。

日本では人に迷惑をかけない行いが尊重され、インドネシアでは祝福する義理が尊重される。その優先順位の違いが、街の風景を大きく変えているのである。

「少し遠回りになっても、今日は誰かの幸せな日なのだ」と思える社会は、案外、贅沢なのかもしれない。便利さや効率では測れない豊かさとは、こうした一日のために、少しだけ互いに譲り合える余白のことを言うのではないだろうか。ただ、そう素直に思えるかと聞かれると、まだまだそんな余裕を持った人間にはたどり着けていないのである。

<大塚 玲央>

1987年長野県生まれ。親の仕事の関係で幼少より転校を繰り返し、高校時代はシンガポールで過ごす。大学卒業後、放送局や旅行代理店勤務を経て現職。2011年よりインドネシア在住。趣味ゴルフ、野球。

大塚 玲央 メールアドレス:reo.fantasista@gmail.com

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※本レポートは筆者の個人的見解であり、PT. Japan Asia Consultantsの公式見解を示すものではありません。