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よもやまノンキインドネシア (第66回)
「五つ星レビューは本当に信じられるのか  レビュー文化が映し出す信用と評価の危うさ」

2026. 07. 28 | その他

南ジャカルタ・ブロックMにある日本人経営の焼き肉店が、ここ最近、SNS上で大きな話題となった。発端は、ある利用者が投稿したGoogleマップのレビューに対し、店舗側が反論したことである。その後、やり取りはSNSのDMへと広がり、店舗側の対応を巡って多くの批判が寄せられる事態となった。

もちろん、この一件の是非をここで裁くつもりはない。インターネット上には感情的な投稿も多く、当事者同士にしか分からない事情もあるだろう。しかし、この出来事は別の問いを投げ掛けている。私たちは、五つ星をどこまで信用しているのだろうか。インドネシアで生活していると、Googleマップ上の評価の高さに驚くことがある。決して悪い店ではないが、「本当にここまで高評価なのだろうか」と首をかしげる店に出会うことは珍しくない。

その背景には、レビューを書けば飲み物を一杯サービス、デザートを無料提供、あるいは割引を受けられるといった販促を行う店舗が少なくないことが挙げられる。レジ横に「★★★★★でレビューをお願いします」と書かれた案内を見かけたことがある人も多いだろう。もちろん、それ自体を直ちに否定するつもりはない。新規開店の店にとって口コミは重要な宣伝手段であり、限られた広告費の中で認知度を高める工夫とも言える。だが、それが当たり前になると、星の数は料理やサービスへの評価ではなく、「レビューを書いた見返り」を反映した数字にもなり得る。

五つ星は「顧客満足度」ではなく、「販促成果」に成り下がってしまうのである。

今回の騒動でも、本質は一件のレビューではない。低評価を受け止められるかどうかである。実際、利用者がSNS上にアップした経営者からのDMとされる画面には、人格を否定する表現とともに、低評価を消すよう強制する一文が確認できた。どんな人気店でも、すべての客を満足させることはできない。百人いれば百通りの味覚があり、接客への感じ方も違う。低評価が付くこと自体は、商売をしている以上、避けて通れない現実である。

本来、レビューとは店と利用者の対話の入り口であるはずだ。店は改善の材料を得て、利用者は率直な感想を共有する。その積み重ねが、レビューという仕組みへの信頼を支えてきた。ところが近年は、その対話が「勝ち負け」になりつつある。低評価を書けば反論される。反論がSNSで拡散される。今度は店が批判され、利用者もまた攻撃される。いつの間にか料理の話ではなく、人と人との対立だけが注目を集める。レビュー欄は、食事の感想を書く場所から、感情をぶつけ合うリングへと姿を変えてしまう。皮肉なことに、星の数を増やそうとした結果、失われるのは信用である。店に必要なのは、五つ星を並べることではない。一つ星の理由にも耳を傾ける姿勢ではないだろうか。今回の一件により、多くの人にこの店は他にもこうやって低評価を消させてきたと思われてしまうのである。実際はそうでなくとも。

利用者にとっても同じである。評価とは腹いせを書く場所でも、正義を振りかざす場所でもない。次にその店を訪れる誰かの判断材料となるよう、事実に基づいた感想を残すことが、本来の役割である。特典だけを目的に実態以上の高評価を付ける行為は、本来のレビューの趣旨から外れている。

便利な時代になった。店を探すにも、スマートフォンを開けば数秒で評価が並ぶ。星の数だけを見て入店を決めることも珍しくない。だからこそ、その星が何によって積み重ねられたものなのかを、一度考える必要がある。見てくれの高評価はお金で買えるのかもしれないが、本当の信用は何百件もの五つ星レビューだけでは築けない。信用とは、耳の痛い一件のレビューにどう向き合ったか。その積み重ねによってしか生まれないのである。

<大塚 玲央>

1987年長野県生まれ。親の仕事の関係で幼少より転校を繰り返し、高校時代はシンガポールで過ごす。大学卒業後、放送局や旅行代理店勤務を経て現職。2011年よりインドネシア在住。趣味ゴルフ、野球。

大塚 玲央 メールアドレス:reo.fantasista@gmail.com

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※本レポートは筆者の個人的見解であり、PT. Japan Asia Consultantsの公式見解を示すものではありません。