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よもやまノンキインドネシア (第67回)
「国境は海の上にあるという現実を考える  海洋国家が守り続ける静かな日常」

2026. 08. 11 | その他

日本とインドネシア。一見すると気候も文化も宗教も異なる二つの国だが、実は共通点がある。それは、どちらも海に囲まれた島国であるということだ。日本は大小約14,000の島々から成り立ち、インドネシアは約17,000の島々を擁する世界最大の島しょ国家である。島の数こそ違えど、海が国の骨格を形づくっている点は共通している。

島国で生活していると「国境」を意識することは少ない。しかし、広大な海域を抱え、周辺国と接する海では、日々、主権や海洋権益を守るための活動が続けられている。スーパーには商品が並び、ガソリンスタンドには燃料が届く。家電も自動車も、海外から運ばれた部品によって作られている。スマートフォン一つを取っても、多くの国を経由した部品や資源によって成り立っている。その物流の大動脈が海である。海が穏やかで、安全に船が行き交えることを、私たちはあまりにも当たり前だと思っている。しかし、その「当たり前」は決して偶然に保たれているわけではない。世界では今も、海洋権益を巡る対立や航行の安全を巡る緊張が続いている。日本にとってもインドネシアにとっても、海は単なる景色ではなく、経済を支える生命線である。

だからこそ、安全保障という言葉は、軍事だけを意味するものではない。港が機能し、船が予定どおりに到着し、物流が滞りなく動く。その積み重ねが、人々の日常を支えている。戦闘機や護衛艦はニュースになる。しかし、本当に社会を支えているのは、「今日も何事もなく船が港に着いた」というニュースにならない一日かもしれない。安全保障とは、何かが起きたときの話ではない。何も起きない日を積み重ねるための仕組みなのである。皮肉なことに、安全保障は成功するほど評価されにくい。抑止が機能すれば「何も起きなかった」で終わる。海上交通が守られれば、誰もその価値を意識しない。平和が続けば、「防衛は必要なのか」という声さえ聞こえてくる。それはある意味で当然である。人は失ったものの価値には敏感だが、失われなかったものの価値には鈍感だからだ。

日本では防衛や安全保障の議論になると、「軍事」という言葉が先行しがちである。一方、インドネシアでは島々を結ぶ広大な海域を守ることが、国家の統治や経済活動と密接に結び付いている。歴史や制度は異なるものの、海を守ることが暮らしを守ることにつながるという点では、両国に違いはない。海は国境であると同時に、人と人、国と国を結ぶ道でもある。

日本企業がインドネシアへ進出し、インドネシアで生産された製品が日本へ届く。その逆もまた然りである。両国の経済関係は、空ではなく海の上に築かれてきたと言っても過言ではない。私たちは海を見るとき、美しい夕日やリゾートの景色を思い浮かべる。

しかし、海にはもう一つの顔がある。

暮らしを運び、経済を支え、国境を守るという顔である。目に見える橋は渡るたびにありがたさを感じる。だが、目に見えない海の安全には、普段ほとんど意識が向かない。だからこそ、ときには地図を広げてみるのも悪くない。日本もインドネシアも、陸より海の方がはるかに広い国であることに気付くはずだ。島国を守るということは、領土を守ることだけではない。人々の暮らしを支え、経済を動かし、次の世代へ安定した日常を引き継ぐために果てしない海域に目を光らせるということである。

海は国を隔てる境界線である。しかし同時に、日本とインドネシアを最も強く結び付けている道でもある。その青い道が、今日も何事もなく開かれていることこそ、私たちが享受している平和の一つの形なのである。

<大塚 玲央>

1987年長野県生まれ。親の仕事の関係で幼少より転校を繰り返し、高校時代はシンガポールで過ごす。大学卒業後、放送局や旅行代理店勤務を経て現職。2011年よりインドネシア在住。趣味ゴルフ、野球。

大塚 玲央 メールアドレス:reo.fantasista@gmail.com

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※本レポートは筆者の個人的見解であり、PT. Japan Asia Consultantsの公式見解を示すものではありません。