インドネシア人の友人と話していると、時折全く聞き馴染みのない新しい言葉に出会うことがある。最近話題になっている「ロジャリ」「ロハナ」、そして「ロブリ」もその一つだ。軽快で耳に残る響きと日常生活に密着したポップさが共感を呼び、大きな話題となっているようだ。
まず、その意味から整理してみる。ロジャリ(Rojali)は「Rombongan Jarang Beli」、つまり「めったに買わないグループ」の略称である。モールやショッピングセンターを訪れるものの、実際に商品を購入することは少ない人々を指す。一方、ロハナ(Rohana)は「Rombongan Hanya Nanya」、すなわち「ただ聞くだけのグループ」である。商品について尋ねたり眺めたりはするが、結局買わない人々のことだ。そして最近になって登場したのがロブリ(Robeli)で、「Rombongan Bener Beli」、つまり「本当に購入するグループ」を意味する。
いずれもインドネシア語大辞典(KBBI)にはまだ載っていない新語だが、SNSを中心に若者から大人まで幅広く使われている。その人気の背景には、都市部の中間層が抱える経済的・社会的なリアリティがあるのではないだろうか。コロナ禍を経た都市部では、購買力の停滞や経済的不確実性の余波が続いている。中間層、特に下位中流層にとっては、モールに足を運んでも実際に買い物をする余裕がないこともしばしばだ。それでもモールに行く理由はある。冷房の効いた快適な空間、友人や家族と過ごす時間、SNSにアップするための「映える」背景。そこには低コストながらも豊かな体験が得られるという魅力があるのだ。一方で、上位中流層は購買力を持ちながらも慎重な消費を選択している。回復しきれていない経済不安の中で「消費か投資か」を天秤にかける姿勢が強まっているからだ。結果として、どの層においても「見て回るけれど買わない」という行動が広がり、それを象徴する言葉がロジャリやロハナなのである。
興味深いのはこうした風刺が、社会の間接的な批判や自己表現の道具として機能している点である。経済の構造的な不均衡や生活費の高騰に対して、ジョークやミームという形で応答する。この軽妙なやりとりの中に、都市生活者のしたたかな適応力が表れている。ロジャリやロハナという言葉を共有することで、消費の不安定さや社会的プレッシャーを互いに認識し合い、共感を育む。言い換えれば、経済的な孤立感をやわらげるための仲間意識を育てる“ことば”なのである。
しかし、企業や小売業界の視点に立つと大手を振って歓迎することのできない客であることは事実だ。販売を追いかけるマーケティングの視点からは、ロジャリやロハナは「買わない客」としてひとくくりに片付けられがちである。ただ、そこにある社会的背景や心理的文脈を読み取れなければ、彼らの消費行動を正しく理解することはできない。インドネシア・イスラム大学(UII)のリストヤ・エンダン・アルティアニ講師は「ロジャリやロハナは市場の敵ではなく、欲求、必要性、経済状況の間で葛藤する社会の鏡」と語っている。
結局のところ、ロジャリやロハナ、そしてロブリといった言葉が流行するのは、単にユーモアがあるからではない。それは、インドネシア都市社会が直面する現実を軽妙に言語化し、共有し笑い飛ばすことで少しでも悲壮感を希釈する文化的な戦略なのではないだろうか。ポップなスラングという仮面をかぶりながら、そこには深い社会批判と生活者の葛藤が潜んでいるのかもしれない。
<大塚 玲央>
1987年長野県生まれ。親の仕事の関係で幼少より転校を繰り返し、高校時代はシンガポールで過ごす。大学卒業後、放送局や旅行代理店勤務を経て現職。2011年よりインドネシア在住。趣味ゴルフ、野球。
大塚 玲央 メールアドレス:reo.fantasista@gmail.com
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