インドネシアの街を歩くと、ある動物の存在にすぐ気づく。猫である。住宅街の路地、屋台の裏、モスクの敷地、コンビニの前。街のあらゆる場所で猫を見かける。しかも人々はそれを特別な出来事として扱わない。誰かが追い払うわけでもなく、かといって厳密に飼っているわけでもない。ただそこにいる存在として受け入れている。この光景はノスタルジックでありながらも異文化を感じる瞬間でもある。

この猫との距離感の背景には、インドネシア社会の宗教文化がある。インドネシアは世界最大のイスラム人口を抱える国であり、多くの人々の生活にはイスラムの価値観が自然に溶け込んでいる。イスラム文化の中では、猫は比較的好意的に受け入れられる動物として知られている。宗教的な教えの中でも猫は清潔な動物とされ、家庭や公共の場に存在すること自体が問題視されにくい。そのため、モスクの周辺で猫が昼寝をしている光景も珍しくない。礼拝に訪れる人々が猫の間を縫って歩く様子は、どこか穏やかな風景である。もっとも、それは猫が特別に崇拝されているという意味ではない。インドネシア人の多くは猫を「かわいい動物」として扱うが、日本のように完全なペットとして管理するケースは必ずしも多くない。むしろ、地域の人々がゆるやかに面倒を見る存在として共存していることが多い。店主が食べ残しを与え、近所の人が時々餌を置く。だが正式な飼い主がいるわけではない。猫は人間の生活の周辺にいるが、中心にはいないのである。
この猫に対する寛容さは、犬に対する態度と対照的である。日本では犬は猫と並ぶ代表的なペットだが、インドネシアでは事情が少し異なる。イスラム文化では犬は不浄と見なされる側面があり、特に身体的接触には慎重になる人が多い。そのため、家庭で犬を飼う習慣は日本ほど一般的ではない。都市生活の中でペットとして犬を飼う人は猫に比べると少数派である。
この違いは街の風景にも表れる。猫は自由に歩き回るが、犬はあまり見かけない。見かけるのは、たいていは大きな邸宅の敷地内で飼われているか、痩せた野良犬であることがほとんどだ。猫が街の住人のように振る舞う一方で、犬はどこか境界の内側に置かれている。もっとも、こうした状況を単純に宗教だけで説明することはできない。都市環境や生活様式も影響している。猫は比較的独立性が高く、人間の管理がなくてもある程度生活できる。結果として、街のあちこちで「野良猫と地域猫のハーフ」という猫が自然に成立している。
ここで興味深いのは、インドネシア人が猫を極端に可愛がるわけでも、厳格に管理するわけでもない点である。多くの人は猫に対して穏やかな距離を保つ。近づけば撫でるが、いなくなっても深く気にしない。日本のようにペット保険や専用フードが整備された社会から見ると、この関係は少し大らかに見えるかもしれない。誰の猫でもないが、誰の街にもいる。誰も強く主張しないが、誰も完全には無視しない。
皮肉なことに、人間社会では責任の所在を巡る議論が絶えないが、猫の世界は驚くほど静かである。街の隅で眠る猫は、政治も経済も気にしていない。ただ涼しい場所を探し、時々人間の好意に甘えるだけである。その姿を見ていると、社会というものは必ずしも厳密な管理だけで成り立つわけではないのかもしれないと思えてくる。猫に寛容で犬に慎重な社会。その風景は単なる動物事情ではない。宗教、文化、生活様式が静かに重なり合った結果である。インドネシアの街で猫が悠然と歩いているのは、偶然ではない。そこにはこの国の価値観が、さりげなく映し出されているかもしれない。
<大塚 玲央>
1987年長野県生まれ。親の仕事の関係で幼少より転校を繰り返し、高校時代はシンガポールで過ごす。大学卒業後、放送局や旅行代理店勤務を経て現職。2011年よりインドネシア在住。趣味ゴルフ、野球。
大塚 玲央 メールアドレス:reo.fantasista@gmail.com
ご意見・ご感想ございましたら、お気軽にご連絡ください。
※本レポートは筆者の個人的見解であり、PT. Japan Asia Consultantsの公式見解を示すものではありません。