大塚 玲央
昨年秋以降続いていた駐インドネシア日本大使の空席に、ようやく終止符が打たれることになる。政府は今月19日、駐カンボジア大使を務める植野篤志氏を新たな駐インドネシア大使に起用する人事を決定した。これで半年以上続いた異例の空席状態は解消へ向かう。
ただ、こう思った人も多いだろう。「大使不在をいま初めて知った」と。
ジャカルタの渋滞は相変わらずで、在留邦人の経済活動も何ら変わりない。日本食レストランには客が入り、ゴルフ場には日本人駐在員が集まる。大使不在によって日常生活に劇的な変化が生じたという話は全く聞かない。
しかし、だからこそ興味深い。日本にとってインドネシアは極めて重要な国である。東南アジア最大の人口規模を持ち、豊富な資源を有し、日本企業も数多く進出している。近年はサプライチェーン再編やエネルギー安全保障の観点からも存在感が高まっている。その国に駐在する最高位の外交代表の席が半年以上空いていた。冷静に考えれば、それなりに大きな話のはずである。ところが驚くほど話題にならない。ここに現代日本の外交観が凝縮されているのである。
外交は空気のような存在だ。普段は意識されない。存在していて当たり前。問題が起きた時だけ思い出される。消防署と少し似ている。火事が起きなければ、その価値は見えにくい。しかし火事になった瞬間、誰もが必要性を理解する。見えづらいだけで本当に重要な存在だ。外交も同じである。大使の仕事とは、式典でスピーチをすることではない。レセプションで名刺交換をすることでもない。本当に重要なのは、有事の際に誰へ電話できるかである。
例えば、日本人が重大な事故や事件に巻き込まれた場合である。大規模災害、テロ事件、拘束事案、あるいは政治的なトラブル。こうした局面では、大使館職員の努力だけで解決できる問題ばかりではない。時には政府中枢や関係省庁との迅速な調整が必要になる。その時、大使個人が築いてきた人脈と信頼関係が力を発揮することがある。外交の世界では、正式な文書より一本の電話が事態を動かすこともある。そして残念ながら、その電話の重みは常に平等ではない。「日本大使」からの連絡と「臨時代理」からの連絡が、全ての場面で同じ影響力を持つとは限らないのである。理想論だけで言えば肩書きなど関係ない。しかし現実の人間社会は肩書きに弱い。企業も役所も政治も同じである。外交だけが例外であるはずがない。だからこそ各国は大使人事に神経を使う。ただ、その重要性が平時に可視化されづらいだけである。
一方で、インドネシア側から見ても少々不思議な光景ではある。日本のことを重要な友好国だと言う。経済協力も続ける。投資も行う。人的交流も活発である。しかし、その代表者の席は長く空いていた。もちろん外交関係そのものに支障が出ているわけではない。両国関係は長年にわたり積み上げられてきたものであり、一人の大使が不在だからといって揺らぐほど脆弱ではない。問題が起きていないから優先順位が下がる。優先順位が下がるから空席が長引く。空席が長引いても問題が起きない。結果として誰も気にしなくなる。合理的ではあるのかもしれないが、その安定が永遠に続く保証はどこにもない。
今回、後任大使の人事は決まった。空席だったポストは埋まる。しかし、この半年余りが投げかけた問いは残る。
日本企業の間でも「インドネシアは重要市場である」という言葉をよく耳にする。政府関係者も同じことを語る。実際、その認識に異論はない。だが、本当に重要な相手に対して、どのような態度を取るだろうか。本来は、代表者の席を長期間空席にはしないはずである。不在なのは“大使”なのか。それとも“外交への関心”なのか。半年以上続いた空席はようやく埋まる。しかし、その間に生まれた問いまで埋まったわけではないのである。
<大塚 玲央>
1987年長野県生まれ。親の仕事の関係で幼少より転校を繰り返し、高校時代はシンガポールで過ごす。大学卒業後、放送局や旅行代理店勤務を経て現職。2011年よりインドネシア在住。趣味ゴルフ、野球。
大塚 玲央 メールアドレス:reo.fantasista@gmail.com
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※本レポートは筆者の個人的見解であり、PT. Japan Asia Consultantsの公式見解を示すものではありません。